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ライフアドバイス ~何のために生きているか~

2018年8月24日 - 最新情報 講座ブログ 高島 なゆみ

「何のために生きているのかわからなくなっちゃって。」

 

ライフアドバイスに来てくださる方々から、何回も聞いたことがある言葉だ。
私自身も時々フッと、えっと私って何のためにここに存在しているのだろう、と考えることがある。
そしてその都度、その馬鹿らしい自問自答に自分で答える。

 

「なんのために生きているのか、ではなくて、生きるために何をするか、なんだよね、人生は。」と。

 

自分のやってきたことに迷いが生じたり、先が見えなくなったり、
あと一歩で頂上かな、と思っているけれど、その頂上の景色が期待通りで無いような気がすると、
「なんのために生きているのかさっぱりわからない~。」と叫びたくなる。
その心は、自分のやってきたことへの否定でもある。

 

そういう気持ちを抱けるということは、素晴らしい事だと思う。
取りあえず、その気持ちにたどり着くまでの行程では、生きがいがあり、目標や目的があり、
理想があったり、期待があったりしたのだから。自分の人生を、よりよく生きたい、したい、と願った結果、
目標を持ち、理想を持ち、こういう自分でありたいと願い、こうやって社会に貢献したい、
これを成したいと思って生きていた結果、いつのまにか「何かのために人生はある。」と思い込んだのだ。

 

 

「お話を聞いているとそういう気持ちになるのも分かるけれど、
その実りのない思考回路はすっぱりここで、さよならしましょうね。
だいたい、あ、私の人生はこのためにあるんだ、って思っても、それが一生続くわけではないし。
三文恋愛映画の定番みたいに、私の人生はこの人に出会うためにあったんだ、って、嘘つけじゃないですか。
じゃ、出会ったからあなたの人生終わったの、ってことでしょ。

 

ありえない。だいたい人生って、このために、なんて定義できるほど、単純にできているわけではないし。
疲れたり、参ったり、先が見えなくて不安だったり、自分が無力で情けなく、ダメダメに思えた時は、
こういう私でも生きるために何ができるかな?って考えることが大切なのよ。
私たちは、生きることが目的なんだから。肉体という物質をコントロールして、
肉体と感情と思考で力を合わせて、頂いた命をきちんと生きる、ということが大切なんだから。

 

何かのために生きるか、じゃなくて、生き切るために何をするか、という考え方が大切。

 

まずは、生きるためにご飯を食べ、健康を維持し、体を清潔に保つ努力をし、
それだけではちょっと物足りないと思う人は、感情を動かす、映画を観たり、自然を愛でたり、
好きなスポーツをやってみたり、友人を作ったり、さらに生きる意義が欲しい人は、
地域貢献のボランティアとか、達成感を得られる仕事とか、自分の個性を生かせる環境を作るとか、
やれることを今の自分がしっかり取り組む、そういう心持ちの方が健康的だと思う。」

 

何のために生きているのかと自問自答すると、ほとんど多くの人は闇の中に突入する。
そんなことわかっている人はほとんどいないし、「このためです。」と言い切れる単純さは
羨ましいけれど、そっちの方が危ない気がする。

 

自分は生きるために何をするか、と考えていると、選択肢はたくさんある。
肉体が生きるだけではなく、心が生きるために何をするか、思考が生きるために何をするかと考えると、
自分の生かし方が見えてくる。自分の枠を飛び出て、家族と一緒に生き生きと生きるために何をするか、とか、
友人と共に充実した日々を生きるために何をするか、とか、枠が広がっていけば、
できることやりたいと思う事はもっともっと大きくなる。

 

主役は「自分」というのは、そういうことよ。
主役は「なにかのため」ではなく、今を生きている自分よ。
「なんのために」は、神のみぞ知る。
でも自分を生かすために、自分が何をしたいかは、自分が決められる。

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